ルカ 6:44 木は、それぞれ結ぶ実によってわかる
ネット朝日に、次のような記事がありました。名古屋市交通局は、市バスの男性運転士が、同市でバスを運行中に、乗客を置いたままバスを乗り捨てたと発表した。バスには乗客8人がいたが、25分後に代行バスに乗り換えるなどした。交通局によると、運転士は、地下鉄高畑駅のバス停を出発する予定だったが、発車直前に乗客から病院への行き方を尋ねられ、発車が1~2分遅れた。車内の別の客から「早く行け」などと遅れをとがめられ、運転士は憤慨、一つ目のバス停を約400メートル過ぎた所で突然停車し、バスを乗り捨てた。運転士は約1時間後に歩いて営業所に戻ったという。運転士は交通局の調べに、「注意され、怒ってしまった。バスを放置してしまい、大変無責任なことをした」と反省しているという。こんな記事でした。これを読んでみて、何かおかしいなと感じました。何がおかしいのか。それは運転士さんだけが無責任なのではないと思います。彼は親切に病院の行き方を教えていたのでしょう。その状況がわかっていながら「早く行け」といった乗客の言葉にもおかしさを感じるのです。どちらにも心の余裕が必要と思いました。
ルカ福音書でも有名な「平地の説教」の中にある、み言葉です。「木は、それぞれ結ぶ実によってわかる」といわれているように、神様から与えられた賜物によって、どんな実をつけるかが大切です。しかし、実をつけるのは私たち自身です。人はその人の実しか結ぶことができないのです。良い人に良い実が。ただ、考えておかないといけないことは、なにを持って「良い」とするかです。
道元禅師の言葉に「霧の中を行けば、覚えず衣湿る」というのがあります。霧の中を歩いていると知らない内に衣服が湿ってきて重くなるということです。濡れるともなく濡れるということでしょうか。人間の生き方も同じで、知らず知らずに、ということが多いと言われているみたいです。ところが、少し考えを変えてみました。人生は知らず知らずのうちに身に付くものがあるというのなら、美しいもの、楽しいもの、感動するものの中をたえず歩こう。知らず知らずのうちにそれらを持つことになる。生きるのが苦しいとか、仕事が大変だと思ってばかりだと背中が重くなってくる。しかし、これも神様から与えられたものとして、神様と共に歩むならば人生は神様の恵みに湿ることができる。恵みに湿るというか、恵みにしっぽりと包まれることになるのだと。
イエス様は「木は、それぞれ結ぶ実によってわかる」と言われています。最終的にはいまそこに現れていることでその人の根っこがわかるといわれました。イエス様がいわれる「良い実」とはその人が生きてきた選択による結果です。神様の御心に従った生き方を選択してきたかどうかが実に影響を及ぼします。仕事が出来るだけでなく、何のためにこの仕事をしているか、神様の御心に従っているかどうかを考えて、今日も生きていきましょう。
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