被災地訪問から帰ってきました。毎年3回を定期訪問とし、震災救援活動後の継続支援としています。寒波がいきなりやってきたため、宮城県石巻は冷たい風が吹いていました。まるでこの風にすべてが押し寄せられ、ただひたすらに沈黙をまもっているような感じを受けました。動いているのは土木工事の車両だけでした。
前回7月の訪問から変わったこと。それは仮設住宅で「ルーテルさん」の名前が消えたことでした。これまで3年にわたって牧師とスタッフを配置して仮設支援をしてきました。「ルーテルさん。ルーテルさん」と呼ばれ受け入れられてきました。その働きは教会の支援活動らしいものでした。しかし今回「ルーテルさん」という言葉を聞くことはありませんでした。今年3月の活動終了とともに、きっと継続支援ができなかったのか。いや、女性会などもまだ関わっておられます。それではなんで。被災地に立つ人がいなかったのでしょう。現場にたたなければニーズはわからない。いま何が必要かは被災地に身お置いてわかることなのです。
今回の訪問で感じたことは。「となりびと」はどこへいったのか。費用がたりなかったら帰りがけによりますといいながら、よらなかったサマリア人になっていないか。仮設におられる方々は「ルーテルさん」に期待しておられた。しかし、「ルーテルさん」はもどってこない。そのような諦めをかんじました。もう救援活動は終わったのでしょうか。いまできることもある。それは現地に身を置けばわかることなのです。
ただ、石巻社協さんには「ルーテル」の名前は残っているとお聞きしました。伊藤先生、市川先生の働きがいまもあるからです。定期的に社協と共に歩み、働きがあるからです。その働きは執行部の働きと方向性が違うと活動から除外されたものです。それでもつながって今があります。まだこれからです。痛み苦しみは深いのです。誰がそこに寄り添うのでしょうか。