マルコ 5:34 娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。
一言の重みというのがあります。何気なく言った一言が、言われた方の人生を左右することもあります。また、言葉が自分を離れて自由に歩き出すこともあります。言った方はそんなつもりではなかったのに、言われた方は傷つくこともあります。言葉によるセクハラも、受取手がどう感じたかです。言葉とはプラスにもマイナスにも働きます。その中でも最後の一言は、大きな意味を持つ言葉です。最後の言葉や行動が強くのこることは「新近効果」と言われています。これは初めて会ったときの第1印象とともに、その効果はとても重要です。駅のホームでの別れのときなど、姿が見えなくなる最後まで手を振っているとか、扉が閉まる瞬間の「またね」の言葉などはいつまでも印象に残ります。
イエス様が、12年間も病気に苦しめられてきた女性の病を癒されたときのみことばです。この女性は病のために苦しめられ、人々からも見捨てられてきました。イエス様の評判をきき、「この方の服にでも触れれば」と最後の望みを持ってイエス様にそっと近づいていきました。この思いと行為を「信仰」と言われました。そして別れ際に愛の言葉をかけられたのです。「安心していきなさい」と。この一言がすべての苦しみからの解放を意味しています。
『第三舞台』の役者さんのご招待で、『モダン・ホラ-』という演劇を観てきました。言葉の洪水のような、次から次へと襲ってくるギャグとセリフに唖然としました。しかし、よくよく聞いてみると、一つ一つに重いテ-マを抱え込んでいる言葉だなと解りました。ひとつのテ-マにギャグをふんだんに盛り込んで、それでいて胸にぐっと迫るものがある。笑いのなかにある真実の重みを感じました。「壁があれば倒せばいい。するとまた壁がある。はっはっはっ」。私たちのまわりにはギャグでごまかそうとするものもありますが、その中に何かを訴えようとするものもあります。イエス様の業や言葉をきくとき、「そんなバカな」とふっと笑ったりするときでも、心には何か残っているものです。心に残っているもの、それが真実です。
イエス様は「安心していきなさい」と言われました。「安心して」。これはいつも共にいるよという励ましと、愛に満ちています。そのような、み言葉を毎日いただいている私たちは最高に幸せなのです。
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