マタイ 27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
聖金曜日は「受苦日十字架」の記念日です。まさにイエス様が十字架の上で息を引き取られたことを記念する日でもあります。イエス様は金曜日に十字架に架けられ、その3日目の日曜日に復活されました。イエス様が息を引き取られた日を英語では「Good Friday」と言います。この日はイエス様を通して救いがすべての人に与えられたためです。
イエス様が十字架にかけられたのは、午前9時のことでした。そして、正午12時から午後3時までは、地が暗くなったと聖書にはかかれています。そして午後3時にイエス様は息を引き取られました。イエス様の最後の言葉が、有名な「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」というものでした。
ドイツの小さな村で行われる10年に一度の受難劇があります。2度も行かせていただきました。想像していた聖書の世界をそのまま人間が演じているところに、まさに真に迫るものがありました。ユダの首吊りの場面ではどよめきがおこり(ホントに首をつったのですから)、十字架の場面では音が消えてしまって沈黙だけしかそこにはありませんでした。あちこちですすり泣く声が聞こえてきて、はっと現実にもどされたときには、すでにアルプスの夕暮れを迎えていたのです。受難場面では、十字架からおろされたイエス様を母マリアが抱きながら、「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と述べます。まさにその実感がありました。そのあとすぐに合唱があり、「ここを通り過ぎてゆく皆さん、静かに立ち止まり、注意深く見なさい。人はこの愛と同じ愛に、どこで出会うことができるでしょうか」と歌っていました。受難劇はそれから最後の復活の場面へと移っていきました。私たちはどこでイエスの愛に出会うのでしょうか。
イエス様の苦しみに、神様は何も応えられませんでした。まさに神様はイエス様をみ捨てられたのです。と本当にそうでしょうか。今年はこのことを黙想していましたら一つの言葉を見つけました。「息を引き取られた」。神様がイエス様の息を引き受けて下さったのです。イエス様の言葉に神様はその息を引き取るということで応えられたのです。私たちも罪赦されて生きています。聖金曜日は、イエス様がその十字架の赦しによって最後には私たちの息を引き受けてくださるという恵みをいただく日です。この愛にであうのです。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>