マタイ 23:3 彼らが言うことは、すべて行ない、また守りなさい。しかし、彼らの行ないは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。
テレビで評論家をみていると、「いいこと言うなあ」と思うことがあります。ところが、その人が詐欺事件で捕まったり問題を起こしたりすると、あれは何だったのかと思います。行ないのともなった言動。これはなかなか厳しいものがあります。言うことは簡単ですし、人を感動させる言葉をどこかで覚え、発言することだってできます。しかし、そのように生きているかは問題です。
イエス様は律法学者、ファリサイ派の人々の教えと行いについて弟子たちに注意を促されました。モーセ以来、民衆に律法を教え具体的に生活の中でどのように守るべきかを指導してきたことは認めておられます。しかし、問題はその教えではなく、言うだけで実行しないことだと言われます。いい事をひとに押しつけるだけで、人を助けようとしないことを問題とされました。「言うだけ人間」になってはいけないと戒められたのです。
法然というお坊さんの言葉に次のようなものがあります。「たとい余事をいとなむとも、念仏を申し申しこれをするとおもいをなせ。余事をしし念仏すとはおもうべからず」。たぶん意味は日常生活をするとき、念仏の中でそれをおこなっていると思いなさい。日常生活のなかで念仏していると思ってはならないということでしょう。逆転の感覚だと思います。私たちキリスト者にとっては、日常生活は御言葉の中で行うのであって、日常生活の中で御言葉を受け取っているのではないということでしょう。私を生かしている中心はキリストの御言葉にありということです。
その人の生き方が信仰を語ります。祈ってないキリスト者、聖書を読んでないキリスト者、礼拝を大切にしないキリスト者はすぐにわかります。その人がどんなことをいっても人は動かされないのです。信仰の言葉は実行されてはじめて人を動かす力になるのだといえます。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>