1ヨハネ 5:14 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。
アメリカの心理学者ダイアーという人が「成功者となった人の共通性」というものを書いています。その中のひとつに「願望を持った瞬間から頭脳や肉体が自動的に作動する」というものがあります。願いをもった瞬間から人間はそれにむかって知らないうちに一歩踏ふみ出しているというのです。だとすると、何を願うかはとても重要なことです。
「願いとは何か?」を考えるときがあります。願いはかなえられることが少ないと、願うこともすくなくなってきます。しかし、問題は「何を願うか」ではないでしょうか。自分のことばかりでは、自分が納得した結果が得られないと失望していきます。願うことが少なくなるのは、適えられない失望が大きいからです。聖書は願いに関して「神様の御心にかなうこと」といいます。本来私たちが願わねばならないことは、自分が生きているこの社会の中で何が神様の御心であるかを考え、それを願うことだといえます。
突然の結婚式の依頼を「お手伝い結婚式」と名付けました。ある時「来週の月曜日に結婚式をお願いできないでしょうか」と電話相談を受けました。あまりにも急なことだったので「赤ちゃんが与えられましたか」と聞いてしまいました。ところが電話の方は「私は旅行業者から相談されたドレス屋のものです」といわれるのです。基本的に牧師の姿勢として、お手伝いできることは断らないことにしていますので「お手伝いできればなんでも言ってください」と答えました。そこでその事情を話してくださったのです。
「実は、来週月曜日にハワイで海外挙式をされる予定の方がおられます。家族みんなでハワイにでかける予定でした。ところが今回のテロ・空爆などがありツアーが中止になりました。結婚という人生の大切な出来事をぜひ教会でということで、ルーテル教会を推薦されました。いろいろな所に相談したところ「そりゃルーテル教会に相談してごらん」といわれたのです」とのことでした。そのあとご本人が家族とこられて、依頼をうけました。「神様が与えてくださったことに感謝します。この教会を選んでくださって感謝です。すべては神様が願いを聞かれました」と言いました。新婦が涙ぐんでおられたのがとても印象的でした。
神様の御心に適うことを願うなら、神様はかならず聞き入れてくださる。これは確信してよいことです。しかも、その願いを持った瞬間から、私たちは自動的に神様に導かれて動き始めている。だから願ったことはかなえられたと信じな「さ」いと聖書は伝えているのでしょう。
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