私たちの敬愛するM兄は、2015年4月9日(土)午後8時45分、家族に見守られて天に召されました。83歳でした。牧師として私は「ごくろうさまでした」と声をおかけしたい気持ちです。またご家族、とくにお子様方に、「共に歩まれた人生をご苦労様でした」とお声をかけました。
長きにわたって家族と歩まれた人生でしたが、言葉にはできない悲しみ・苦しみがありました。一番の悲しみは愛する奥様を先に天に送ったということでした。「さみしい・さみしい」と教会の椅子に腰かけては言っておられました。妻を先に送ることはこんなに悲しいことだろうか。神様はそれでも、M兄を支え導き、共に歩んでこられました。M兄は最後まで、生きると言うことにこだわっておられました。神様は共にいてくださる。いつでも、どこでも、神様は共にいてくださる。そして今は神様のもとで愛する奥様と再会され、おおきな喜びに包まれておられることでしょう。「心配ない、死は通過点。愛する者と再会する喜びがある。」その笑顔が見えるようです。
しかし、ご家族にとってはこの数カ月はとても苦しい時間だったかもしれません。とくに9日に輸血を止める決断をされた。それをすれば天国への道を避けることはできない。それでもご家族で決断されたことはこの世での命の大切を教え、同時に神様に命を委ねる決断でした。M兄が信仰者であったからできたことでした。
M兄はこの世の命が終わっても、新しい命が神様のもとで始まる。すでに神様の国で復活され奥様と共におられることを知っているからです。死はおわりではない。再び生きる意味を見出すことでした。