2コリ 6:1 神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。
市ヶ谷会館風呂場への給湯配管がいきなり破裂した時があります。天井から滝のようにお湯が流れ、みるみる床が洪水状態となり救援に呼び出されました。いってみるとあたり一面が雨漏り状態。「バケツはないか」と探しまわっていました。ふと、「大きな洗面器が15個位印刷室にあった」ことを思い出しました。その洗面器が大いに役にたったのです。この洗面器は10年前からあったもので、青年修養会で1度だけ洗足礼拝で使用されたものです。それ以来、1回も使用されず「ほったらかし」にしてあったのです。無駄なものと思っていましたが、そうではなかったのです。せっかくの恵みを無駄にしているのは私たちなのだと思いました。
パウロは「神の協力者としてあなたがたに勧めます」とのべています。この「神の協力者」という表現は「神と共に働きながら」というのが直訳です。私たちは神の働きの中で、たくさんの恵みをいただいています。しかし感謝が少ないのは、その恵みに気がつかず受けとっていないからでしょう。「無駄」とは、せっかく与えられている恵みを受け取らずにいること。その恵みを「ほったらかし」にしていることです。
ある歌手の歌詞で、ドキッとさせることがあります。たとえば、「ずっと いつまでも このままでいれたらいいな 前の人 一緒にいすぎて 愛が生活に負けたから」というのがあります。これはどんな意味があるのかと考えこんでしまうのです。つまり、その人のメッセージが含まれているのです。またこんなのもあります。「いちばん近くにいてね 束縛したくないの お互いの人生 今は大切にしたいから」。一緒ではなく、いちばん近くにいるのがイエス様かもしれないときこえてきました。その中でも「無駄だと言われることも 寄り道したりすることも 別に自分が納得すれば それでいいんじゃないの」というのもあります。無駄を無駄にしているのは私たちかもしれないと思わされました。
神様が与えてくださったものはすべて恵みです。何一つ無駄なものはありません。無駄にするのは私たち自身ですし、無駄にするから感謝もないのです。今日1日与えられたものはすべて神様からの恵みである。これを覚えながら過ごしましょう。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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