パソコンに向かっていると、ついネットにつないでネッサーフィンをはじめます。簡単にいえば「何か面白いことはないかな」とページを渡り歩いているようなものです。気を付けていないと数時間見ている時もあったりして。
さて、先週もいろいろと眺めていたら「なくなってほしい習慣」と言うのがありました。社会で働いている方々にアンケートした結果でした。その1位は「目上の人へのお酌」でした。これは難しいですね。立場上やるのか、仕事でどうしても、お酌したくないのにとかいろいろとあるのでしょう。もっともこのような習慣がなぜあるのかも考えてみてもいいかなと。礼儀というのもあるでしょうし。しかしこの何のためという目的がわからないからやめてほしいのかもしれません。2位は「飲み会の余興」。これはどうでしょうか。やらされる方はつらいのでしょう。それを見ているのもつらいものがあります。結局は「何のために」がわからなくなってしまったのかもしれません。もともとはきちんとした目的があったのではと思うのです。
そして、私が一番驚いた答えは10位でした。「故人に戒名」。質問の内容は「なくなってほしい習慣」でした。それに「戒名」がでてくるとは。もっともこれは習慣なのだろうか。戒名と言えば仏教者にとっては大切な者です。仏になるということだと聞いたことがあります。いちどゆっくり、お友達のお坊さんに戒名とは何かをじっくり教えて頂こうと思います。きっとそれは習慣ではなく、大切な宗教儀礼のはずですから。またこれを習慣ととらえ、なくなってほしいとの本心は何かも話し合ってみたいと思います。
イエス様律法学者にむかって「何が大切か。律法の目的は何か」を問われています。それに律法学者たちは的確に答えられません。わたしたちはどうでしょうか。