フィリピ 2:16 命の言葉をしっかり保つでしょう。
「言葉とは心の振動である」ということを聞きました。「好きだ」という心の振動があってはじめて、言葉として告白ができるというのです。振動ですから、音にならない言葉もあります。イエス様の御言葉も振動です。十字架という救いを、福音という御言葉の振動によって伝えてくださっています。この振動こそ聖霊の働きではないかと思います。心の振動を意識していないと、それはただの音になります。音では会話になりません。家庭内ではなされる会話も、命の言葉としての心の振動を大切にしてほしいと願っています。
パウロは、神様の福音を「命の言葉」といいました。また、キリスト者として、福音という命の言葉をしっかり保つことが「誇り」であると教えています。この「福音」という一つのことに、パウロは全身全霊をもって働いています。全身全霊で働くことが保つということでもあります。
ルターの言葉で衝撃を受けたのはつぎの言葉です。「使徒はキリスト者に対し、目覚めよ、と言って、勧めている。なぜなら彼らは目覚めていないならキリスト者ではなく、神の道に立ち止まっていることは後退していることだからである。前進するとは、つまり絶えず新たに開始することである」。キリスト者に大切なのは過去ではなく、今どうするかだと言えます。昔はああだったこうだったということは、キリストの前からだんだん後退していることかもしれません。自分に出来ることを何かひとつでも絶えず新たに開始していきたいと思います。教会の宣教のために祈ることもまた、新たに自分が開始することなのです。そこにこそキリストのみ言葉が命を持ってくるのです。
パウロは、「命の言葉をしっかり保つ」と言います。言葉には命があるのです。言葉は「心の振動を伝える」のです。「ありがとう」の一言が人を生かすのは、その「ありがとう」に心の振動が込められているときです。私たちはイエス様から「命の言葉」をいただいています。その「命の言葉」が、どんなときでも励まし、慰めを与えてくれるのです。
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