ルカ 19:17 良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。
熊本に赴任して初めにやったことは、生活のリズムを整えることでした。事務局に勤めていたときは、9時から5時までという決まった時間がありました。どんなに夜の会議が遅くなっても、次の日は5時起床というリズムができていました。現場の教会に戻ると、24時間勤務という心構えをしましたので、生活のリズムを整えないと、ズルズルとなってしまいます。リズムを整える初めの一歩「毎朝6時起床」ということです。この小さなことを習慣かする。それがその日全体を整えることだと思います。
本日の聖書の箇所は、ムナのたとえです。マタイ福音書ではタラントのたとえとなっています。タラントとはタレント、才能・能力のことです。ある主人が10人の僕に1人1ムナ(お金の単位)を渡して旅にでます。留守のあいだこのお金で商売をしなさいと命令しています。ある人は1ムナで10ムナを儲けます。ある人は5ムナにします。しかし、一人だけ布に包んでしまっておいた人がいました。減らすのが恐ろしくてなにもしなかったのです。この僕には主人は厳しく、彼の全財産を没収します。ムナを増やした僕に対する言葉が今日の聖書の言葉です。ここで「忠実だった」という言葉がでてきます。何に忠実だったのか、主人の思いに忠実だったのです。増やした事実ではないことに注目したと思います。
現代では「約束」ということばが意味を失くしています。しかし、中世のころから350年以上もただ一つの約束を守り続けている村もあります。次回は2020年にドイツの旅を予定しています。10年に一度のオーバーアマガウ受難劇をもう一度みたいと思っています。この受難劇は遠い昔のこと、村人の命をペストからすくってくださったら、今後10年ごとにキリストの受難劇を村人あげて行いますという、神様との約束のうえに成り立っている劇です。たとえどんなことがおこっても、必ず約束を守り通していくこと。それが、大きなことであっても、小さなことであっても重さは同じだといえます。主イエスは私たちと共にいてくださることを約束してくださっています。
イエス様は「お前はごく小さな事に忠実だったから」と言われました。私たちが与えられている働きはどんな小さなものでも神様の働きです。私たちは神様からこれを任されて与えられています。私たちのことを信頼して任せてくださっている。「ごく小さな事」にも忠実でいましょう。
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