マタイ 14:16 「『ここにはパン五つと魚二匹しかありません。』イエスは、『それをここに持って来なさい』といい、群衆には草の上に座るようにお命じになった。」
よく使われるたとえにコップの水の話があります。コップに水が半分はいっている。ある人は「水が半分しかない」という。ある人は「水が半分もある」と言う。同じ状況にあっても、その人の見方で違ってくる。これは「リフレーミング」というものです。「見方を変える」ということでもあります。イエス様のみ言葉をよく聞く時、この「リフレーミング」を教えられます。
イエス様に対する弟子たちの言葉「~しかありません」は、どんな響きでしょうか。「イエス様。たったこれっぽっちしかないですよ」という抗議。「イエス様これじゃあしかたありません」という諦めの響きでしょうか。どちらにせよ「こりゃだめだ」というものでした。これに対し、イエス様は弟子たちに「違った方法」をしめされました。5千人の人々に食べ物を与えるという奇跡という方法でした。
「打ち上げ花火は神様からはどのように見えているのだろうか」と考えたことがあります。つまり、空から見ればどんな形に見えるのかなあと考えていたのです。数年前のことでした。夏にインドネシアにいくとこになりました。ちょうどその日が隅田川の大花火大会の日だったのです。快晴の成田から離陸し数分したときに、なんと空の上から花火大会をみることができたのです。なんだか、少し感動しました。花火は上から見たらこうだったのかと疑問が晴れたからです。実は、打ち上げ花火は空からみても同じように丸く見えるのです。つまり、花火は平面に広がっているわけではなく、大きな球体になっていてどこから見ても同じ形に見えるのは当然のことだったのです。見方を変えても花火は丸いのです。
この不況の時代にあって、教会会計もかなり厳しいものとなりました。伝道費が「これっぽっち」しかない。集会費なんて「全然ない」。「あれもない。これもない」と聞こえてきます。私たちの教会も弟子たちの言葉と同じようです。「どうせだめです。これしかないのですから」と。イエス様はそんな私たちにどういわれるでしょうか。私には「おいおい。パンが五つもある。魚が二匹もあるではないか。教会にはあなたがいるではないか。」と聞こえてきます。イエス様のみ言葉で、今の状況を「リフレーミング」してみませんか。
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