大江B食くらぶは今年から、熊本のランチと教会めぐりをしています。まずは市内の5教会を訪問して、その教会のいいとこをまねてみようと思っています。同時に大江教会を顧みてみようという企画です。これまでに2つの教会をお忍びで訪問しました。いきなり行ってみてドアは開いているのか、入りやすいか、安心して教会で祈れるのかなどです。意外と週日の教会はオープンです。しかし、入りやすいかと言えばそうではありません。玄関からすでに「はいれないでしょ」という雰囲気を醸しだしています。
最近「インサイドアウト」だなと思うことが多いです。人でも、教会でも外にでてくるものは内なるものからでてくるのだと。教会の冷たい感じは何だろう。オープンなのに入りにくいのはなぜだろう。この人はなんでこんな発言をするのか。なぜ反対ばかりするのか。なぜこんな激しい言葉をつかうのか。やっぱり「インサイドアウト」なのだと思うのです。その内にあるものは何かと思うのです。問題が私にではなく、その人の内にあるとしたら。まずは内を考えねばなりません。
熊本市内ではありませんが、教会の雰囲気が雑然としている所がありました。外から見ても落ち着きません。立て直したばかりなのに、整理がなされていない埃っぽい。厳しい言い方をすれば汚い感じがしました。教会の中に入ってみてわかりました。礼拝堂の椅子は乱れ、絨毯にはシミがあり、説教壇の中はゴミ箱、またいつのかわからない牧師の説教原稿が乱雑においてある。綿埃があちこちに。キリスト者にとって大切な聖なる空間がこれでは外にでてくるもので宣教するなんて無理なことです。大江教会の内をまず聖なる空間に整えた理由はここにあります。これまで大江教会が教会に見えなかった理由もそこにあるかもしれません。だから内なるものを聖に保つことです。
インサイドアウト。いま大江教会の内には何がありますか。喜び、希望はありますか。