ルカ 22:41 そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。
2通の手紙を別々の所からいただきました。申請書に宗教法人の署名捺印をして送り返してほしいというものです。しかし、この2通を受け取った側の心境には、ちょっとした違いを感じました。1通は丁寧な手紙と返信用の封筒が入っていました。もう1通は殴り書きの文書と、訂正する所に鉛筆で線が乱暴に引いてありました。それは私たちの教会の正式名称の上でした。同じ文書をいただくのにまったく違った感情が生まれたことに驚きました。これも配慮の問題だと思います。「申請するのはあなた」という思いがあるのでしょうか。それでも相手のことを考えた文書の書き方があると言えます。このような文書のやり取りをしながら、自分はどうかと反省をさせられました。書くことも、話すことも、伝えることです。伝えるということは、相手に届くということです。届いたときのことを考えるのが配慮です。
イエス様は弟子たちとの「過越しの食事」のあと、オリーブ山へいかれました。十字架の前に祈るためでした。イエス様は、汗が血のように滴るばかりに祈られています。しかし、弟子たちは悲しみの果てに眠ってしまったと聖書は記しています。その時の弟子たちがいた場所は「石を投げて届くほどの所」でした。実は、イエス様の祈りが届くところにいたのです。それはイエス様の配慮ある距離だったと言えます。
イエス様は「石を投げて届くほどの所に」におられました。イエス様は、弟子たちが祈りを聞くことのできる場所におられたのです。その祈りは、これからはじまる十字架の苦難、それに向かうイエス様の御心。そして力強い歩み、弟子たちに届くところにおられるイエス様の最後の証しでした。イエス様は届くことをしっかりと考えておられたのです。
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