「私たちは一人で生きているわけではない」という言葉を聞きます。誰もそれを否定することはありません。多くの人々に支えられて生きているからです。しかし、本当にそれが解っているかなと思います。自分一人で生きているような生き方や発言をしている人は多く見かけてしまいますが。
ある講演で質問がありました。「なぜあなたは赤信号で止まりますか」と。多くの人は「警察に捕まるから。捕まると罰せられるから」と答えます。他の人は「自分が怪我しないため」だと答えます。ただ少数の人は次のように答えたそうです。「自分も怪我をしないためだが、青信号で進んでくる人にも迷惑をかけないため」と。この社会や交わりの中で生きていくには3番目の目的で生きていきたいです。1番目は賞罰でものを考え、2番目は自己中心という生き方です。きっと3番目の答えをしている方は、社会性があり集団と個がはっきり認識することで生きておられる方です。
「私たちは一人で生きているわけではない」ことが本当にわかっているならば、一人では生きていけない自分を意識できます。それではなぜそれができないか。やっぱり自分中心だからです。人のことを考えているといいながら、自分のことしか考えられないのが私たちです。ある心理学の本には「私たちの悩みはすべて対人関係の問題である」としています。きっとそれは自分が中心でしか生きられない存在だから。自分からだけから考えてしまうからかもしれません。
私たちの礼拝では信仰告白があります。この告白は「私は信じます」と告白しながら同時に「私たちは信じます」と告白します。「私」が共に告白するとき、個人の信仰告白と同時に共同体の告白となります。個人と集団の信仰ということが同時に起こるのが教会です。信仰というものは、個人だけのもでなく、共同体のものでもあります。