エフェソ 2:4-5 憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです。
五、七、五のなかにすべてを集約させていく俳句。その俳句をつくってみようと考えましたが、やっぱりだめでした。どうしてもとってつけたような言葉になってしまうのです。素直に感じたままを言葉にするのは大変なことだと思います。まして愛を表現するのは大変なことです。日頃の生活の名kで、言葉を選ぶよりも、こころを伝える姿勢に変わりたいと思います。俳句とはこころを震動させて伝えることだとわかったのは、ひとりの小学生の句に出会ったときでした。
天国も もう秋ですか おとうさん 塚原 彩 『ちいさな一茶たち』より。
何かこの句は、人を生かす力を持っています。死んでいた心に命をふきこむような。
パウロはエフェソの教会人々は、救われる以前の「死んでいた」状態であったと告げています。エフェソの人々の過ちに、罪が加わり、さらに多くの罪を重ねた生き方は、生きていながら死んでいる状態だというのです。そういう人間に対して神様は3つのことで、罪ある人間を救われたのです。「憐れみ」「愛」「恵み」です。この3つが、人間を絶望の状況から救いの状況へと逆転させたと述べています。パウロは「わたしたちをこの上なく愛してくださり」といいます。イエス様がわたしたちをこの上なく愛してくださったのです。その愛を中心に憐れみ、恵みがあります。
テレビで「心霊現象」の番組が最近多いことが話題になりました。私は小さい頃からそのような番組は観ないことにしています。きっと怖いからかもしれませんが、観たあとに必ず熱をだしてしまうのです。これも気分の問題でしょうが。さて、ご主人を先に天国に送られた方が「いまでも隣にいる感じがする時がある。昨日も夜中に目が覚めて、ハッと隣に主人を感じた」と言われました。すると、もう一人の方が「そうなのよ。台所で炊事をしていると、隣の部屋でお茶を飲んでいる主人を感じることがある」と。またまた別の方が「私もそんなときがあった。ふとテレビを観ていると、横で主人も観ているような感じがするときがある」と。けっして幽霊の話ではありません。愛する方の存在をいつも感じることがあるという話です。ともに生活してきた夫婦だからでしょうか、なにか守られているような特別な感じかもしれません。やっぱり守られている所に愛があるといえます。
パウロは「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり」と教えています。イエス様がわたしたちをこの上なく愛して下さっています。それが伝わってきます。しかもあるがままに、ストレートに伝わってきます。そのイエス様の愛によって生かされていることを感謝する1日にしていきましょう。
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