牧師となって30年が過ぎようとしています。よくここまでもったな~と言う感じです。そろそろ牧師としての自分を振り返り、まとめの時期に入っていくのかと思います。自分なりの目標を立て、神様からのミッションを確認しながら牧師を続けてきました。また原点に戻るかなと考えています。
先日のことでした。「立野先生が目標とする牧師は誰ですか」という質問がありました。さて誰と答えたでしょうか。じつはその質問は大変答えにくいものでした。誰も思い浮かばないのです。また、誰かを目標にしてきたこともなかったからです。それなら自分は何を考えて牧師として生きてきたのかとふと考えてみました。どんな牧師になりたかったのだろうかと。
答えは簡単でした。「立野にしかできない牧師となりたかった」です。とても傲慢なことかもしれません。しかし、どうせ牧師として生きるのなら、立野を立野として召して下さった神様に感謝して、誰もやったことがない宣教をしたい。教会を創っていきたい。教会の枠を超えた交わりつながりをもちたい。「あれは立野だからできるのだ」と笑われてもいいから、それでも自分は自分として生きていく牧師になりたかったということです。家族からは「身勝手」と言われても、「自由だね」と言われても。自分に与えられたビジョンのためにまっすぐ突き進むのが好きです。こんな牧師に慣れて頂くしかないと伝えてきました。ですから。もし大江教会の宣教ビジョンと違った方向に向かっているとすれば、その時は牧師として決断をさせていただきます。
大切なことは、大江教会の宣教ビジョンは何かということです。それは牧師が決める事ではありません。信徒の皆さんが考え、一致したビジョンを持つことだと思います。それにふさわしい牧師かどうか、まず自分を点検してみたいと思います。