マタイ 6:34 明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。
「慢」ということばは、仏教では煩悩を表わすそうです。我慢もそのひとつ。それは、自分という存在が永遠不滅のものだと錯覚している煩悩なのです。自分中心に考えることは、どの宗教にとっても問題があります。その自分中心とはいったい何でしょうか。それは自分が神様になることではないです。私たちは中心をどこに据えるか、自分に据えるか、イエス様に据えるか。常に考えながら生きていたいと思います。自分中心で生きていくと、思い悩むことが多くなります。
本日の聖書のみ言葉は、イエス様が山上で説教された言葉のひとつです。この34節には「思い悩む」と言う言葉が2回でてきます。聖書で同じ言葉が2回でてくるときは強調を表します。6章の最後にこの節があることを考えると、神様への信頼によって思い悩むことから解放されなさいということでしょう。しかも、明日のことまでもと言われていますから、目の前にある今日を大切にしなさいということです。
新潮社「波」に、作家の城山三郎氏が次のように書いていました。
一日即一生私たちはよく、今年はどんな年にしようかと考えます。しかし、聖書にも書いてあるように、明日のことを思い悩むことはないのです。むしろ、今日という日を大切に生きていきしかないのかもしれません。自分で書いていて冷や汗が出るのですが、今日やらなければ明日はできないという思いで、何事も誠実に取り組みたいと思います。誰にだって明日はわかりません。手探りだけれど確実な今日が一生なのです。この思いを胸に祈りつつ歩める一日としたい。
イエス様は「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む」と教えられました。今日をしっかり生きることが明日へつながります。まず今日の命を感謝し、神様を信頼することです。明日のことは明日自らが思い悩むことですから、それは神様におまかせすればよいのです。明日の問題とすればいいと言われます。与えられた今日のこと、いま目の前にある働き、招き、使命に素直にとりくんでまいりましょう。
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