ルカ 12:26 こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。
「ブッダの教え」という本を読みました。そこにブッダが悩まない理由は何か?ということが書いてありました。簡単にいえば「智慧」があるからです。その「智慧」によって、いつでも正しい答えを持っているからだと書いてありました。ブッダにとっては、どんなことが起きても問題ないのです。なぜなら、どんなことにも答えを持っているからです。瞬時に正しい対応が出来ると言うわけです。私たちは答えをもっていないので「どうしよう」と心配ばかりするのです。いつでも本当の答えを持っていることが悩まないコツのようです。
イエス様は群衆の一人に「愚かな金持ちのたとえ」を話されたあと、弟子たちに「思い悩むな」と言われました。弟子たちはすべて(所有物)を捨ててイエス様に従っています。その弟子たちは何も持っていなくても、神様がすべて養ってくださると言われるのです。命のこと、食べること、着ることで思い悩まなくても、神様はすべて配慮してくださるから「思い悩むな」と教えられたのです。
私たちは「なぜ」という疑問をもちます。「なぜ、生きているのだろう」にはじまり「なぜ、神様は」と。しかし私たちは、この「なぜ」の答えをある程度、自分でもっているようにも思います。教会に相談に来てくださる方も初めは「なぜ」と言われます。しかし最後は自分のもっている答えに納得して帰られるのです。ある神父さんが書かれた本の中に次ぎのような話をみつけました。ある一人のおばあちゃんが神父さんに質問しました。「神父さん、私はなぜここにいるのですか」と。みなさんはどんな答えをされますか。いろいろと話をきいて、その神父さんは次のように答えました。「おばあちゃん。あなたは長い人生でさまざまな苦労や試練を乗り越えて、ここまで頑張ってこられたでしょう。それは、ご家族や私などには大きな励みになりますよ」と。この話をよんで、さわやかな気分になりました。人はなぜと考える。自分では自分の価値を見いだせないときもある。そのなぜの答えは自分の中にあるのでなく、人を通して、神様を通して答えは与えられるものだと思うのです。あなたの「なぜ」の答えは、神様の御言葉によって与えられるのだと思います。
イエス様は「思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができるか」といわれました。しかもこんな「小さな事さえ」と言われます。神様がすべてを配慮し、導いてくださるという「答え」を自分のうちに持っているなら、思い悩むことはないのです。今日1日のすべてに、神様の配慮を感じながら生活しましょう。
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