九州教区発行の「情況と伝道」という新聞をいただきました。40年前に出されたものです。「情況と伝道」というタイトルに、今の時代なら読まないだろうなと思いました。「難しそう。面白くなさそう」という感じだからです。ところが最後の頁をみてビックリ!「情況と伝道を読んで」というテーマで、40年前に書いた自分の投稿を見つけたからです。全く覚えがありませんでした。不思議な再開でした。
この文章は高校2年生の時に書かれたものです。改めて読んでみて「赤面」です。まあ偉そうに、この新聞の批判をしているじゃないですか。「情況と伝道というタイトルを見て、難しそうで読む気がしません。なんだかめんどくさいという感じがします」と。まさにいま感じたことをそのまま書いていました。しかも生意気に意見をしているのです。情況と伝道を書くならば、もっと具体的に高校生がなぜ教会に来ていないのか、教会離れの原因を考えた方がいい。なぜ高校生が教会にこないのか、それは教会に魅力がまったくないからだと。だからこそどうやった高校生にとって魅力ある教会になるか、魅力ある教会とは何かを考えることが「情況と伝道」ではないかと。
若かったのですね。怖いもの知らずに書いたのでしょう。しかし、伝道の視点としては変わってないことに安心しました。40年前もどうしたら高校生が教会に来てくれるかを考えていたのです。それが高校生だけでなく、もっとたくさんの方が興味を持っていただける教会とは何かを考えてきたのです。常に視点がそこにあったことに気がつきました。その視点があるから、いまの大江教会の状況があるのです。
マネジメントのドラッガーは「顧客の創造」というテーマを提起しています。物を売ることがマネジメントではなく、顧客を創造することがマネジメントだと。教会にとっては求道者の創造ということになります。その視点が宣教の中にあると思います。