マルコ 1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
エッセイでも、絵本でも、まず第1行に苦労します。最近はエッセイでこの1行が出てこないので、後の文章がすんなりいかないもどかしさを感じています。あとで言いたいことがあるときの第1行はそこにむけての導入になります。導入を書きすぎるとそれだけで文書の全体が解ってしまいます。そうすると最後まで読まなくていいやとなるのです。第1行を読んでもっと読みたいと思っていただける文章が書ければいいなと思います。
マルコによる福音書は、イエス様のことを記した最初の書物です。最初ですから、何から書きだしてもよかったのです。マルコは「神の子イエス・キリストの福音の初め」と書きました。ですからこのあとイエス様の事を書いた書物を「福音書」という名前でよぶことになったのです。最初に何から書きだすか。それは、その書物全体を表すもので、大変大切なところです。
ある葬儀に出席しました。亡くなった方はまだ中学3年生でした。仏教のお葬式で、浄土宗のお坊さんが式をされました。とても心のこもった式で、人の生と死を深く考えさせていただけました。お坊さんは集まった参列者にむかって始めに言われました。「ここに集まっている中学生のみなさん。この式の前にどうしても言いたいことがある。私が念仏を唱えるあいだ『命』について考えてください。そして、ここにいる友達に言いたかったこと、謝りたいこと、感謝したいこと、非難したいことすべて言い尽くしてください。いま言わなければならないことを充分に心の中で伝えてください。後悔しないようにただ彼のことだけ考えて、思いを向けてください」と。
式が終わり退席しようとするとお坊さんがみんなを呼び止めました。「中学生のみなさんもう一言きいてください。もう一つ考えてください。それは『人間は何でできているか』。答えが出た人はここから帰っていいです。『人間は何でできているか』真剣に考えてください。彼の死を無駄にしないためにも、一生かかって答えを探してください。どんな答えでもいいです。その答えを真剣に自分に受けとめてください。浄土宗では御仏との関係において人間であるといいます。神様と関係があってはじめて人間なんです。関係を持ててますか。関係に気がついていますか。人間は何でできているかをしっかり考えてください」と。神様との関係においてはじめて人間は人間として生きたものとなる。「はじめ」と言うことを考える時でした。
マルコによる福音書の出だしは「神の子イエス・キリストの福音の初め」とあります。最初にかかれた福音書ですからどんな言葉ではじめてもよかったはずです。しかし、福音書の始まりは、これしかないという出だしです。何が書かれてあるか、何を書こうとしているか。たった1行で表現してあります。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>