マルコ 6:31 イエスは「さあ、あなたがただけで人里離れた所へいって、しばらく休むがよい」といわれた。
原因不明の咳や痛みなどがおこった時、よく聞くのは「ストレス性~~」と言う病名です。これはどんな病気にもいえそうな気がします。私も事務局長のときに咳がとまらなくて病院にいきました。すると「ストレス性気管支炎」という病名をいただきました。先生にどうしたら治りますかと聞いたところ「この役職をやめることですね」と言われました。なるほどと納得しました。病気の原因はストレスにある。そのストレスを与えているものをとりのければいいのです。それができなかったらどうするか。お医者さんは言われました。「よい加減に」やってはどうですかと。どうも「いいかげん」と聞こえて、やっぱりそれはできないかなと思いました。
イエス様が弟子たちを派遣されたとき「杖一本の他に何ももっていくな」と言われています。これを聞いた弟子たちは一生懸命に宣教したことでしょう。宣教する以上は「きちんと」「熱心に」「他人に配慮しながら」「しっかりと」「しかも迅速に」が自分に求められていると感じたらどうでしょう。これが「燃え尽き症候群」に陥るもとだと言われています。イエス様が言われたことは、どうもメリハリをつけてということのようです。しっかり休むことも指示されているのですから。
ある姉の葬儀告別式が下関で行われました。「故人はクリスチャンではありませんが、キリスト教で葬儀をしてほしいとの遺言なのですが」という典礼社からの依頼でした。故人がなぜキリスト教式を望まれたのか?まず一番にご遺族に尋ねました。「私の葬式には、讃美歌を歌って、聖書を読んで送ってほしい。わかる言葉でお願いしたい」が口癖だったと、一人娘さんは教えてくださいました。どこでキリスト教との接点があったのでしょうか?何か遺品はないかと聞いてみました。すると故人が愛用していた聖書と讃美歌が棺の中にあるとのこと。さっそく取り出して見てびっくりしました。故人の聖書には「昭和27年広島女学院大学英米文学科入学時購入す」と書いてありました。じつは姉は広島女学院大学を卒業し、英語教師として働いておられたのです。彼女の聖書にはたくさんの書き込みと赤線が引いてありました。「これ真に義人なりき」という十字架の出来事のときのローマ兵の言葉には、強く強く赤線がありました。讃美歌も1曲のみ赤線があり「疲れたるものよとく我にきて憩え」という歌詞でした。
イエス様も弟子たちの一生懸命に対して「しばらく休みなさい」といわれました。「休んでいいのだよ」というメッセージをくださるのです。心の休みを持ちつつ与えられた仕事をしましょう。燃え尽きないように。あなたが燃え尽きると、隣の人にも火は移りますから。
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