1コリ 14:33 神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。
良寛さんの詩に次のようなものがあります。「花開くとき蝶来たり、蝶来るとき花開く」
あたりまえのことですが、あたりまえでないことってたくさんあります。花が開くときに蝶はやってくる。誰が教えたわけでもないのに。そしてまた蝶が来るころになると花が開く。これまた誰が教えたことでもありません。この不思議さを見る目をどれくらいの人がもっているのでしょうか。そしてまたこの日常に感謝出来る人がどれくらいいるのでしょうか。やっぱり良寛さんは素直なんだなあと感激してしまいました。私たちが教会の礼拝に集められるのも、習慣ではなくホントは奇跡なのではと思います。毎週の日曜日に礼拝に集い、兄弟姉妹との交わりを持つことができる。これもまた奇跡です。「教会が開くとき人来る。人来るとき教会は開く」そんなあたりまえのことが、そうではないことに見える信仰に感謝したいものです。
パウロはコリントの教会信徒に「集会の秩序」について語っています。集会のなかで、預言、異言、教え、啓示、それにともなう解釈などが秩序なく行われていたようです。そうならないように教会の「秩序」を教えています。それはすべて教会を建てるためにものであると理解するようにというのです。神様は無秩序の神ではないという言葉が印象的です。
日曜日の夜のこと、何気なくテレビを見ているとイタリア料理のシェフの番組でした。31歳の若さでオーナーシェフとなり店を開店させた彼の生き方や考え方を紹介する番組だったのです。他にすることもないので、ついつい見てしまいました。その彼の言葉で印象に残ったものがあります。それは、できるだけ多くの時間をお客さんと過ごすこと。そして「おなか一杯になりましたか?」と聞くことだそうです。普通なら「美味しかったですか?」と聞くところですが、プロの料理人だから美味しいのはあたりまえ、どれだけ満足していただけたかが大切なことと言ってました。これにはなるほどと思わされ、ちょっとドキッとしました。それでは、牧師は教会へ来てくださった方にどのように声をかけるべきかと考えたのです。「神様の御言葉で癒されましたか?」というのは、教会ですからあたりまえのことです。「楽しかったですか?」でもないしと・・・。いったい十字架のイエス様はどのような言葉をかけてくださるのでしょうか。また、主イエスからどんな言葉をいただけると嬉しいのかとも考えてみました。
パウロは「神は無秩序の神ではなく」といいます。世の中には多くの法則があります。しかし、すべては神様の導きの中にある法則です。しかもその法則は神様の御心を伝えるための法則だと思います、何を持って成功とするか。神様と共に働く者となることが成功と考えているではないかと思います。
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