ルカ 6:43 悪い実を結ぶ良い木はなく、良い実を結ぶ悪い木はない
古代ギリシャの医者・哲学者であったヒポクラテスの言葉に「知りながら害をなすな」というものがあります。これを「プロの責任と倫理」と捉えた人がいます。牧師、医者、弁護士、その他どんな職業でも、顧客に対して必ずよい結果を出せるという保証はありません。最善をつくすことしかできないのです。しかし、「知りながら害をなさない」と、信じていただくしかないのです。どんな職業であれ、「知りながら害をなすな」が職務倫理であり社会的な責任なのです。
イエス様は「実によって木を知る」という、たとえ話をされました。木はそれがどんな木であるかは、その実によってわかると言われたのです。「茨からいちじくは採れない」「野ばらからぶどうは集められない」。そこから、良い人は良いものを出し、悪い人は悪いものを出すと指摘されたのです。問題となるのは、外側に出てきたものではありません。その人の内面がどうであるかです。内なるものは必ず外にでてきます。だからこそ、見えない内面が大切なのです。
先日テレビで「日本一気持ちのいいカラオケ」と題して、あるお店が紹介されてありました。どうして「気持ちのいいカラオケ」なのかといえば、ストレスを発散できるからなのです。しかし、日本一というからには、その店にしかないものがあるのです。それは、その店に飾ってあるものは何でも壊していいのだそうです。例えば、花瓶、お皿、時計、壷などの骨董品、テーブル、コップなどなど。つまり、1万円払えば、その店の中のものを破壊してもよいのだそうです。しかも、その店は1年先まで予約で一杯というから驚きました。私は恐ろしくなりました。このままこんなことが受け入れられていったとすれば、人をどれだけ殴ってもいいカラオケとか、お年寄りをいじめていいカラオケなどが出現するかもしれないと思ったのです。お金を払えば、自分のストレス解消のために何でもやっていいということはありません。むしろ、そのストレスの原因を見つけて処理するほうがいいと思うのですが。自分の内面を見つめたいと思います。
イエス様は「悪い実を結ぶ良い木はなく、良い実を結ぶ悪い木はない」と言われました。私たち自身がどうであるかを考えねばなりません。私たちはこの職場に、悪い実を結ぶように集められているわけでなく、良い実を結ぶように集められています。
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