ある日、はじめて教会にこられた方の話を聞いていました。カフェの雰囲気がよかったのか、かなり深い話もお聞きしました。とても笑顔になられてよかったなと思っていますと「質問があります」と言われました。「相談料はいくらですか」と。「必要ないですよ」と答えたら「いやお布施を差し上げたくて」「お布施の額を教えてください」と。。その時、こちらから金額を言えばいいのかと。お布施とはそんなものなんだろうかと思ってしまいました。
そこで臨床宗教師の集まりで「お布施」について聞いてみました。布施とは「僧などに、品物や金銭などの施し与えること」という意味だそうです。そうなると、僧侶の方から金額を言うのはどうかということになったのです。するとある住職が発言されました。「お布施はなくてもいいのです。そしていくらあってもいいのです。僧侶の方から金額を言うのは間違っている。お布施をする相手の気持ち次第でいいのです」と。
その中で誰でもできる「無財の七施」を教えていただきました。「もの」を施すのではなく、「態度による施し」だそうです。その中の一つに「和顔悦色施」というのがあります。いつもにこやかに「柔和な笑顔」で人に接するという布施だそうです。確かにこれは「もの」ではなく誰でもできる態度です。「微笑みは、最高の化粧である」という言葉もついでに教えて頂きました。身施というのもあり、これは「わが身を惜しまず、他に奉仕する施しのこと」です。ボランティアはこれにあたると。なるほどだなと思いました。自分の方から動いていくことが基本にある施しなのでしょう。
しかしどちらにせよ「施す」というのに少しひっかかるものがあります。受けるにせよ与えるにせよです。イエス様は「受けるより与える方が幸いなり」と言われました。施すのと与えるのは同じか違うかを考えてしまいました。お坊さんとの出会いから多くのものを教えられています。先週も新しいお坊さんに出会うことができました。