今年の夏は「山の日」とお盆と続き、牧師も少し休暇をとることができました。と言ってもこの暑さ、家でじっとしているのがいいのかもしれません。ということで、買いためたほんを読むことにしました。
アドラー心理学の本をいただいたので少し読んでいました。すると「人は正しいことをして注目されないと時に『負の注目』を集めようとする。人生をみじめにするような努力はやめるべきだ。」という言葉が目に留まりました。人は「ほめられる」という「正の注目」を得られないとわかると、「叱られる」という「負の注目」を集めようとするのだそうです。叱られるというのは子どものことで、これが大人だったら反対意見ばかり言うとか、わざと場を混乱させるとかになるのだそうです。マザー・テレサは「愛の反対は無関心だ」と言いました。無視されるくらいなら叱られた方がよい、問題児になった方がよい。そうやって注目を集めたいというのです。
グループや会議で意見ばかり言う人がいます。確かに正論なのですが、話が次につながって行きません。そしてついには反対意見ばかり言う人になっています。それはどうしてだろうと思っていました。今回アドラーの本を読んで納得しました。つまりは自分に注目してほしいだけなのかと。だとするならば「負の注目」ではなく。たとえ小さくても「正の注目」を集める努力をした方がいいなと思いました。「負の注目」を集めていても自分がみじめになるだけなのだと。
イエス様にすべての注目が集まったという聖書の箇所があります。これは「正の注目」です。神様のみ言葉に注目が集まっているのですから。たとえ小さくても私のなかにあるイエス様のみ言葉が注目されるような生き方をしたいなと思います。