ヨハネ 13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
「愛し合う」ことほど難しいものはありません。簡単にできるならば、神様などは必要なくなってしまいます。人間ほど「愛し合う」のが下手な存在はないのです。それは、自分、自分と自分のことだけしか考えられないからですし、自分を捨てることができないからです。そしてもっと言うならば、「愛し合う」ことが一体どういうことなのか、分からないからです。
イエス様は、「互いに愛し合いなさい」と教えられました。教えられたというより、掟として命令されたのでした。イエス様が掟として命令されたということは、よっぽど人間にとって「互いに愛し合うこと」が難しいのではと思わされます。なぜなら、どうやって愛し合うのかが分からないのです。
伝説の鳥に「共命鳥(ぐみようちょう)」という鳥がいます。架空の鳥ですが、この鳥は身体は一つでありながら、頭と心を二つ持つ鳥なのです。そしてまた、この鳥はとても美しい声の持ち主でした。あるときのことでした。一羽の鳥の片方の頭が、とりわけ美しい声をしていました。ところがもう一つの頭はすこし声が悪かったので、美声の頭に嫉妬してしまいました。しかし、この鳥は身体は一つだったのです。一羽の鳥のうち、一つの頭がもう一つの頭に嫉妬してしまったというのです。この一つの頭さえいなければ、自分はコンプレックスを持たずにすむと考えてしまったのです。そして、彼の餌のうちに毒を仕込んでしまったのです。そうとは知らずに一つの頭はそれを食べてしまいました。
もちろん片方の頭は死んでしまいました。しかし、同時に食べさせた方の頭も死んでしまったのです。なぜならば、身体は一つだったのです。同じ身体なので、相棒が死んだら自分も死んでしまうことの大切さに気が付かなかったのでした。この伝説の鳥の話はいろいろな事を教えてくれます。結局、お互いを尊重し、お互いが大切にならなければ死んでしまうということです。人間は一人で生きているように思えても、実は一人では生きていけない。大切にされ、大切にすることによって生きて行くのです。
イエス様は、「互いに愛し合いなさい」と言われました。そしてこれが掟であると言われました。私たちにもまたこの掟があります。しかし、どのように愛していけばよいかは、イエス様がその生き方によって示してくださっているのです。それは、イエス様が私を愛し、私にしてくださったように、隣人にも同じことをしなさいということなのです。私たちは、お互いを大切にすることで生かされます。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>