ヤコブ 3:5 どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。
九州学院での聖書科の授業が始まりました。講演などは慣れていますが、授業となるとやっぱり違いますね。講演は聞く人たちは、自分の意思でお金を払って講演に来てくださいます。ですから聞く側にすでに準備があります。授業も授業料をはらっておられますので同じことですが、その話が聞きたいと言わけではなさそうです。そうなると、眠たくなるのは当然かもしれません。ただ、授業のはじめに「礼儀」と言うことを話しました。授業をする私たちは礼儀を重んじましょうと。内職をする、居眠りをする、おしゃべりをすることが、教壇に立つ物に失礼ではないか。語る方も真剣に準備し語っているか。もっと自分自身が努力をしないと話を聞いてくれないということだけはわかりました。難しいものです。
ヤコブの手紙3章は「教会内の争いについて」がテーマです。初めの部分では、言い争いを生む「舌」が問題とされています。舌を制御できる人は、全身をも制御することができ、神様に完全に従うことが出来るとヤコブは教えています。ところが、舌を制御できないと大変なことになります。舌を制御できない問題は、その人の中心に何があるかだと思います。
山陽新幹線博多駅でおきた「男女のけんか」の話を聞きました。新大阪行き「こだま750号」での出来事です。車内で男女がケンカをはじめたために出発が15分おくれ、計1300人に影響がでたというものでした。原因は60歳代と40歳代で内縁関係にあった2人が、駅弁を買うかどうかで口論となり、ケンカが相手を蹴るなどに発展したそうです。鉄道警察員3名が駆け付けて仲裁にはいったのですが、おさまらず15分遅れで出発。2人は新下関駅で下車したということでした。最初は些細な口ケンカが原因で、次第におおげさになったのでしょう。ただ、この2人の心の深い所にある何かを見る思いです。
ヤコブは「舌は小さな器官ですが、大言壮語する」と言います。舌を制御することの難しさを思います。また「父である主を讃美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います」と言います。同じ舌から相反することがでてきます。問題となるのは、その人の中心に何をおいているかだと思います。
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