宗教改革500年に大江教会では何をやろうかと考えました。実は考えているだけで500年の年がやってきました。しかし、500年だからということでなく、いつも宗教改革の教会であることが大切だと思います。
ところが何もやっていないわけではありません。3年前から礼拝堂にある講壇用聖書の通読をしてきました。ルターは「聖書のみ」と言います。大江教会にとって通読はとても意味があることです。毎日誰かが礼拝堂で祈り、神様のみ言葉が語られている。これが365日毎日続けられているのです。大江教会の宣教の歴史で、講壇用聖書の3回通読は、この教会の基礎となりました。このまま4回5回と続けられていくことを願っています。毎日聖書が読まれ祈られる礼拝堂となることです。ぜひ皆さんも1回でもいいですからこの通読に参加ください。信仰生活が豊かになります。
今週はもう一つの計画が達成されます。教会讃美歌を1番から全て歌うというものです。朝礼拝最後の讃美歌は1番から通して歌ってきました。先週の金曜で495番まできました。今週は全曲を歌い終わります。良く継続できました。週日朝8時半からの時間、神様の祝福の中で礼拝を守りました。これも5年になります。「誰もこなかった日はない」という奇跡があります。必ず参加者があります。その参加者から教会讃美歌全曲讃美の提案がなされました。いまはパイプオルガンがありますから、朝から大きな恵みをいただけます。これもまた「み言葉」につながっています。讃美歌は会衆が歌うみ言葉の説教です。
宗教改革が「み言葉に立つ」を基本とするなら、大江教会は毎朝、毎日このみ言葉に立つ教会でありつづけました。宗教改革500年にふさわしいことができました。