2コリ 2:15 救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。
一瞬で幼い頃に帰るときがあります。それは懐かしいものに出会った瞬間です。その懐かしい物との出会いは、「鼻」に一番現れるような気がします。「この香りはどこかで嗅いだことがる」と思うとき。また「この香りは小さい頃によくあった香りだ」とか。昨日は五家荘に行き、囲炉裏で薪を燃やしていただいた時に、一瞬で子供の頃に戻りました。懐かしいというより、自分の原点に戻ったような。その懐かしい香りが、良い思い出となって甦ってくることが、神様からいただく恵みなのだと思いました。
パウロは「キリストの香り」について語ります。キリストの香りというのは、キリストの福音(よきおとずれ)のことです。福音は、救いに導かれている者にとって生命を与える喜ばしい香りです。逆に滅びに導かれている者には、死に至らせる死臭となります。そこには悔い改めがありません。キリストの福音を信じるものには、キリストの香りが与えられ、キリストによって神様に献げられるというのです。
死ぬ間際まで働く体の器官は、「耳と鼻」だときいたことがあります。ある女医さんから教えられたことです。心臓とまっても、耳は聞こえているそうです。だから、いま言っておきたいことを最後につたえてくださいとご家族に伝えておられました。最後の臨終の時まで耳はきこえている。だから、その人はまわりの人々がどんな話をしているかはわかっているのです。天国への凱旋にふさわしい言葉を語りかけることが大切です。いっぽう鼻は香りによって反応するといわれます。幼いころの香りがしてくると病床でも元気になる人が多いと言います。私たちには、自分にとって心地よい香りというものがあります。大抵は幼いころの香りだといいます。一番はお母さんの香りだそうですが。私たちにとって、愛を感じる香りがするときに元気が与えられるのです。
パウロは「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」と言います。キリストの福音をきいて従った者は、すべて神様に献げられる良い香りといいます。その香りは自分のためだけでなく、隣にいる人にとってもよい香りとならねばいけません。自分はどのように生きているか。そこからキリストの香りがしてくるか。それが人を祝福に導いているか。香りについても考えることが多いものです。
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