1コリント 13:2 たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
「生協の白石さん」という本に、「愛を売ってください」というのがありました。これは東京農工大の学生と学生生協の職員である白石さんとの文通みたいな本です。そのやりとりが微笑ましくもあり、暖かみもあり、人情に溢れているので大好きになってしまいました。さて「愛を売ってください」という質問に白石さんは次のように答えています。「どうも愛は非売品のようです。もしどこかの店で愛が売ってあるとすればそれは大きな罠かもしれません。お気をつけください」と。この「どうも愛は非売品のようです」という一言に、なぜだか安心感を覚えてしまいました。「愛」という商品はない。「愛」は商品ではない。もしそれがあったとすればそれは罠である。まったくそのとおりです。そのような罠がこの世界に多くなってきたとおもわれませんか。
「コリント信徒への手紙1」13章は、「愛の讃歌」と呼ばれています。パウロは、いかに優れた働きや、言葉も「もし愛がなければ」空しいと教えています。その中心に愛があれば、すべての賜物は意味をもち、愛がなければ、すべての働きは価値もなく、無意味であると宣言しています。重要なことは、どんな働きであっても、その中心に愛があるかないかを問われているのです。
中国の言葉に「山を動かす人は小さな石を運ぶことから始める」というのがあります。ある時、東日本大震災支援センター「となりびと」で仮設支援に参加しました。午前中は快晴でしたが、午後から吹雪になりました。すぐに10センチ以上も積雪があり、厳しい寒さを実感しました。ルーテル救援では、仮設におられる方々を対象に「お茶っこ会」を行ってきました。参加者は、まだ多くの痛み苦しみの中で生きておられました。その中で、この1杯のお茶っこが絆を結びつけているのだと実感できました。小さな働きですが、やがてそれが心を癒す働きになっていくと信じています。また、それを信じて、ボランティアは繰り返し仮設へ出かけていったのです。
パウロは「山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」と教えています。中心に愛がなければ無に等しいと言うのです。いまは小さな働きに見えていても、その中心に愛があれば山を動かす働きになります。自分たちの働きの中に、神様の愛をみつけていきたいと願います。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>