使徒言行 12:9 ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。
ある青年が海外での楽しい経験を話してくれました。彼女は海外のワークキャンプに出かけるときは必ず女性誌・週刊誌を持っていくそうです。だいたい日本人は何に興味があるかはそれをみればわかるし、海外の青年たちも日本での様子に会話が弾むのだそうです。そのような会話でいつも海外の青年たちがいう言葉は一緒だそうです。それは、「日本という国はbefore(ビフォー)とafter(アフター)ばっかりだね」ということです。つまり、「はじめ」と「あと」の広告がたくさんあるということです。そういえば、ダイエット、美容整形、金運、開運などの広告がおおく、それをする前と後のことばかりが中心です。しかもどれをみても、後のほうが素晴らしいというものばっかりです。前よりも後の方がいいというのは幻想だとおもいます。
ペトロに起こった奇跡の話です。ヘロデ王によって捉えられ、厳重な兵士の監視がつけられました。ところが、逃げることが不可能な状態のなかで天使によって脱出させられたのです。ペトロは、始めそれが現実のことではなく、夢か幻でも見ているのだろうと思っていました。しかし「我に返った」とき、神様がなされたことに気がつきます。現実と幻の間で、ペトロは「我に返る」という、自分を客観的にみたときに真実がわかったことになります。
多摩美術大の文化祭でのイベントのことを聞きました。多摩川で、夜、多摩川の水面に、映写機で多摩川の水面を映すというイベントでした。真実の多摩川の流れがそこにあるのに、いつも見ている水面を投影する。それは幻の姿がそこにあります。しかし、客観的に見るという視点からすると、とても大切な何かを教えています。私たちは真実をみているようでも、じつは幻を投影させて自分の見方でしか物事をみることができないのかも知れません。
ペトロは自分の目や、自分の判断からみてしまい、現実のこととは思えなかったのです。神様が行っておられることを、神様の目で見ない限りそれは幻にみえてしまいます。自分におこる様々なことがらも、神様の視点が必要です。そうやって自分を客観的に見るということが信仰のはじまりだと言えます。
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