創世記 26:14 多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになると、ペリシテ人はイサクをねたむようになった
「けんかをしない30の方法」というブログがあります。その一つに「ねたみ」があり、心理学による実験の話が書いてありました。自分の性格などを知る実験でした。ブログによると「ある女性に、とても美人で頭がいい人の話をしました。するとその女性は、大変にねたみをしたという結果が出ました。でもその反面、同じその女性に優秀な音楽家の話をしてもねたみしないという結果になってしまいました。またある音楽学生に、優秀な音楽家の話をするとねたみしました。その一方、美人で頭のいい女性の話をしても、ねたみするということはありませんでした」。ねたみがあるということは、それだけ興味があり、欲があるということをあらわします。つまり自分は何にねたむかで、自分の興味がわかるということです。
イサクは、飢饉がカナンを襲ったとき難をのがれるためにゲラルという土地にいきます。そこは神様がアブラハムに約束の地カナンの最南端にあたります。その隣はエジプトです。人々は飢饉のとき、エジプトに食料を求めていました。しかし、神様はエジプトに行くなと命令されました。神様とアブラハムとの約束のとおり、カナンの地にて祝福をされる。その約束を信じ、神様に従うことを命令されたのです。イサクはゲラルに留まりました。するとゲラルの地で、多くの祝福をうけました。それに対してペリシテ人はねたむようになったのです。
最大の寒波がきた日、宮城県石巻の仮設で「お茶っこ会」をしていました。横を流れる追波川はすでに凍っておりました。外気温はマイナス5度。寒いというのを通り越していました。仮設住宅の造りでは、この大寒波を過ごすのはとても厳しいだろうと心配しました。仮設集会所に入り、お茶っこの用意をしました。水道は凍結防止のために水抜きがしてあります。まずは元栓をゆるめることからです。ところが、元栓をゆるめても水がでません。この日は料理も作る日でしたので、水がないと大変です。水抜きしてもどこかで凍っているなんて信じられませんでした。ところが、ちょっとはやくやってこられた仮設のおばちゃんが助けてくださいました。「あんたら寒さになれてないっぺさ。お湯っこもってくるけさ、蛇口にかけてみ」と。まさかそれだけで水がでるとは思いませんでした。しかし、なんとお湯を蛇口にかけたとたんに水が勢いよくでてきました。まるで魔法のようで、大笑いしました。その時、ある教会で「宣教が進展しないボトルネックは何か?」という話をきいたことを思い出しました。教会における宣教の水が流れていかず、首が細くなっている問題点はどこかということでした。
創世記ではイサクが神様の祝福をうけ「豊かになり、ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになると、ペリシテ人はイサクをねたむようになった」とあります。その後、イサクは井戸争いに巻き込まれていきます。ペリシテ人のねたみの本質は、多くの羊や牛、多くの召使でした。しかし本当にみておかねばならなかったのは、イサクの背後におられる神様の祝福でした。ねたむ相手の背後には何があるか、自分は何に興味を持っているかを考えることも大切だと思います。
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