1テモテ 4:14 あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。
ある本に「自分に何ができるかを問うのではなく、自分に何が貢献できるかを問いなさい」という言葉を見つけました。教会や組織の在り方を考えるとき、自分に与えられている賜物が何であるかを知る事は大切なことです。自分ができることばかりでは自己中心的になります。しかし、自分がこの組織に何が貢献できるかは、自分のためでなく他者のためにあるともいえます。神様が下さっている賜物は自分のためのものでなく、共に生きるものにとっての「賜物・カリスマ」なのです。
パウロはテモテに「恵みの賜物」について語ります。これはギリシャ語では「カリスマ」という言葉です。すでに日本語にもなっている言葉です。パウロはこの「カリスマ」は特定の人にのみ与えられるものではなく、すべての人に「神様の恵みの賜物」として与えられていると言います。この与えられている賜物を軽んじることのないようにと勧めるのです。ですから「~のカリスマ」と呼ばれる人が多くてもかまいません。それらはみな、神様からの恵みの賜物だからです。
我が家には、マカオの友達からプレゼントされた骨董品がいくつかあります。ただ乱雑に並べてあるだけですが、それなりの姿に歴史を感じてしまいます。その中に《壷》と《皿》があります。友人の話によれば、二千年前の壷と漢時代の皿だそうですが、本当でしょうか。骨董品はわかりませんので、そう言われてそうだと考えていたほうが幸せです。しかし、最近この二つをしみじみ眺めてみますと、「もしかすると本当にそうかもしれない」と思えるのです。もし本当だったら大変だなと思いつつた。壷を手にもちながら、人間も同じようなものかもしれないと思いました。宝が与えられているのに気が付かないからです。与えられている神様からの賜物としての宝が、本物か偽物かの判断ができないのです。偽物という宝はないでしょうから、宝を偽物にしているのは私たちのです。
パウロはテモテに「恵みの賜物を軽んじることのないように」と勧めています。神様がそれぞれに与えてくださっている「賜物・カリスマ」は、神様が与えて下さっているものです。神様のものであるから軽んじてはなりません。自分は神様から与えられている賜物で何をこの世に貢献できるかを考えてみましょう。
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