フィリピ 2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
いろんな人と食事をしていると「自分流」ということを感じます。その人にとってはあたりまえのことでしょうが、とても不思議に見えることがあります。なんでも酢をかけて食べる人。カレーに醤油・ソースをドボドボかける人。とんかつに醤油をかける人。牛丼の肉よりも多く紅ショウガを入れる人・・・。自分にとってはあたりまえでも、人からみれば特殊というのがたくさんあります。このことが人に不快感をあたえなければいいのですが。共に生きていく、働くという場面においては「自分流」も少し見直していくことが大切かもしれません。
パウロは「キリストを模範とせよ」というテーマで、自分のことだけでなく互いに思いを一つにと教えます。「同じ思い」「同じ愛」「心を合わせ」「思いを一つ」にと強調しています。そのために必要なことは「へりくだる」ことです。互いに相手を自分より優れた者と考えなさいと教えるのです。共に生きていくには、自分勝手に生きるのではなく「互いにへりくだる」ことが必要であり、それはキリストが模範として示してくださったことだと言うのです。
姉妹っていいなあ~と思うことがありました。単身赴任先から帰宅してみると、居間に新しい洋服がかけてありました。わりと可愛らしい今どきの服でした。次女がバイト給もらって無駄遣いして服をかったのか。それにしてはちょっと違うなと思いました。夕食を囲みながら、話題は服の話に。それは中学3年になった3女のものでした。たいした小遣いを持っているわけでないので、「どうしたん」ときいてみました。すると「お姉ちゃんが買ってくれた」というのです。しかも「今日は映画『のだめカンタービレ完結編』に連れて行ってくれて、ついでに服を買ってくれた」というではないですか。ちょっと感動してしまいました。その服を大事にハンガーにかけて、みんなの見えるとこにかけた3女の気持にもちょっと。次の日は礼拝でした。その服をきて何度も鏡の前に立って眺めていた3女の姿に、不思議な喜びも感じました。とても嬉しかったのでしょう。「お姉ちゃんが買ってくれた」というところが、3女にとっては大事な出来事でした。
パウロは「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と教えています。娘たちがアルバイトをとおして、人と人の関係を学び、自分のことだけでなく隣人のことにも目をとめることができるように。そんなチャンスを神様から与えられていることを知る事ができるように祈ります。パウロはキリストを模範にといいます。そのキリストは「へりくだった」のだと。この「へりくだり」の心を互いに持つことが、この場における愛を実践することだといえます。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
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