熊日新聞の取材を受けました。臨床宗教師の講演を聞きに来てくださり、その成り立ちが東日本大震災の苦難の現場からだったことに興味を持たれたようです。現在は特に緩和ケア病棟における宗教者の役割が報道されている中で、その活動の原点を知りたいという事でした。
まず「苦難の現場に寄り添う」ことが原点であると話しました。そのことは「苦難の現場に身を置くこと」であると。簡単に言葉で言っておりますが、これほど自分にとって苦しいことはありません。いつもその場から逃げたくてしかたありません。その場を誤魔化してしまいたい衝動にかられます。それでもなおそこに身を置くという事が「傾聴」だと思います。聞くよりも一方的に話した方が楽です。自分のペースに持っていけます。いつも不平をいいながら自分以外を批判していたほうが楽です。しかしそれでは苦難の現場に身を置くことにはならないのです。
傾聴を学んでいた時のある先生の言葉です。「あなたが話しているとき相手が60秒何も言わなければ、あなたの話を理解していないと考えなさい。もうしゃべらない方がいいでしょう。そして聞くことに徹しなさい。するとあなたの心は伝っていくものです」。「相手の話をさえぎりたい誘惑を抑えないさい。その前に深呼吸しなさい。すると相手の話している中身がきこえてきます」。臨床宗教師にとって大切な訓練はまず聞くことです。それを会話記録にまとめて検証することです。
イエス様も「耳のある者は聞きなさい」と言われました。聞くことの大切さを学んでいながら聞けないのは、自分が先にでてしまうからかもしれません。その場で神様は何を語っておられるのを聞くのが祈りかなと思います。