マルコ 8:27 弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。
ある講演で講師の先生が最後に言われた言葉は「当事者意識をもて」ということでした。講演の後、現場の働きに戻り、それを進めていくうえで「当事者意識」を持つことは何かを考えてみました。そこでわかったことは自分の現実にある「今ここ」に立つことでした。牧師や講師などをしてきましたが、はたしてこの当事者意識がどこまであったか反省しています。現場の「いまここ」は地域の最前線におり、緩和ケア病棟で人々の死と向かい合う仕事を与えられています。これが「現実」であり「いまを生きる」のです。人は自分の人生においては常に「当事者である」ことを教えられています。
イエス様は、エルサレムへ向かう途上で弟子たちに尋ねられます。エルサレムでこれから起こる受難の出来事を前に「自分とは何者か」を弟子たちに問われたのです。弟子たちを代表してペトロは「あなたはメシア(キリスト)です」と告白しました。イエス様の中にキリストを見出したということです。しかし、ペトロが自分の口でそれを告白できたということに重要な意味があります。まだ民衆はイエス様が誰かわからない。人を神ということは冒涜となり、殺される危険性があります。ペトロは命がけで「あなたはキリストです」と答えました。震えていたかもしれません。しかし、それが彼にとっての現実の「今を生きることでした。
ある芸能人の覚せい剤取締法違反罪の判決が言い渡されました。その中で裁判官の説諭がおこなわれたそうです。裁判官は2つのことを言われました。一つは「これはドラマではなく現実です」という言葉。もう一つは「主文を自分の口で言ってください」という言葉でした。本人は裁判官が何を言ったのかわからなかったのでしょう。しかし自分の口で「懲役1年6ヶ月、執行猶予3年です」と言ったときに、それがどのようなことであるかを知ったと思います。あなたのこれが現実なのですよという計らいだったのでしょう。彼はそれがわかったのでしょうか。
イエス様は弟子たちに「あなたの口で言ってみなさい」と言われました。自分でしっかり確認しなさいということでした。イエス様の中にキリストを見ることの重要さ、それを告白することの大切さを教えられます。ペトロにとって「あなたはメシア(キリスト)です」と告白できたことは、それ以後のペトロを支えたのです。