マタイ 26:32 しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。
友達で、必ず遅刻してくる人がいました。どんな待ち合わせでも、どんな会議でも、彼は遅刻をするのです。少しは悪いと言う意識はあるものの、決して治りませんでした。遅刻するのも病気の一つと思えばいいのでしょうが、やっぱり毎回となると怒りがこみ上げてきます。当然本人も気にしているみたいですが、彼の感覚に驚いたのです。それは「約束の時間が来るまでは遅れることを考えない。時間が過ぎると悪いと思うんだよね」というのです。約束の時間までは罪はないという考えに、納得しながらでもおかしいなと思いました。時間をどこに設定しているのかが問題なのです。
イエス様は、最後の晩餐「過越しの食事」のなかでペトロの離反を告げられます。その直前にある言葉が「あなたがたより先にガリラヤへ行く」という言葉でした。「今夜あなたがたは皆わたしにつまずく」という言葉に弟子たちは驚きます。ペトロは自分だけは決してそうならないと言うのです。しかし、イエス様が言われた言葉で大切なことは「復活」と「先にガリラヤへ行く」です。先に、前もってというみ言葉の意味を後々に思い起こしたのでしょう。それが支えであったし、そのときのイエス様の「ゆとり」だったと。
千利休の七則というのがあります。その中の1つに「刻限は早めに」というのがあります。これは時間を早めにしなさいとか、10分前行動とか、時間厳守ということを教えているものではありません。そういったことは当たり前のことですから。この「刻限」とは時間に対する意識・認識のことを示しているようです。それを早めにというのです。常に自分の中の「時」を早めに設定しておくということです。現実の時間よりも自分の中の「時」がはやければそこに「余裕」が生まれる。その「余裕」が「平常心」につながるということのようです。
イエス様は「先に」といわれました。時間が早くということではなく、復活の救いの「時」を先に示されたのです。あとになってわかった弟子たちでしたが、あのときすでに救いの先取りをしめされていたことになります。「刻限は早めに」。私たちも時間に振り回されずに、刻限を意識して余裕をもちましょう。
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