マルコ 8:17 まだ、わからないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。
私たちは自分たちの言葉や行いを「批判」されると、反撃するか、落ち込むか、受け流すか。それぞれに何らかの反応をします。その時に、批判されている内容にもう一度目をとめて考えることをあまりしません。まずそれができれば、反応の仕方も変わってくると思います。批判されている内容を、自分のことではなく批判している側に問題ありとすり替えて考えることもあります。それでもまずは冷静になって事実を見ることが一番最初にすることです。
イエス様の言葉に対して、弟子たちが方向違いの考えをしていたときに言われたことばです。イエス様が何を言おうとされているかに集中できず、イエス様の言葉を、まったく関係のないことがら(自分たちの勝手な思い・受け取りやすい考え方)にすりかえてしまうことへの忠告だと言えます。弟子たちは、自分がわかりやすいことにすり替えて聞いています。このすり替えがおこると、イエス様の本来のみ言葉の意味も分からなくなるのです。
ある時、教会新聞に書いている私の文章に匿名はがきで「厳しい意見」をいただきました。はじめは、意見はあっても言い方があるだろうとか、匿名での批判はどうなの?と考えてしまいました。つまり素直に受け入れることができなかったのです。夜寝る前にもう一度そのはがきを読んでみました。すると「毎回楽しみによんでいること」「せっかく一生懸命読もうとしているのに文章が不明瞭で悲しくなった」とありました。この「悲しくなった」に、期待の大きさを感じました。実は、心から楽しみにしていたので残念だったのでしょう。これほど楽しみにしていてくださることに感謝し、自分の文章を読み直してみると、さすがに言われているとおり意味不明の所があると納得しました。
教会に対する様々な厳しい意見をいただくことがあります。無茶なご意見もありますが、それでもその人が何かを思っている。教会ならと期待があるということかもしれません。自分のほうに都合がいいようにして、逆に非難するまえにちょっと立ち止まって考えることも大切です。「心がかたくなになっているのか」というイエス様の声が聞こえてきます。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
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