ローマ 12:15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
昨年の今日は東日本大震災被災地である宮城県石巻にいました。津波から半年がすぎ、何気ない出来事の中に人々の痛み・苦しみをそのまま受けることが多くありました。その深いところにある痛みに出会う時、私たちボランティアはどうしてよいかわからず、じっとしてそこに寄り添うだけしかできませんでした。
パウロは、キリスト教的生活の規範としていくつかあげています。愛すること、仕えること、希望をもつこと、祈ること等です。その中に、共に喜び、共に泣くことをすすめています。この共に泣くということの深い意味を突き付けられていたのが、ちょうど昨年の今頃だったのです。
石巻北上にある仮設住宅を訪問した時のことでした。奥様、お孫さんをはじめ親族の17名のほとんどを津波で流された方がおられました。ご遺体はまだ誰も見つかっていません。一人ぼっちになって、うだるような仮設で一人住まいです。私たちをいつも快く家に向かい入れてくださっていました。その日も久しぶりの再会とあって、お茶に呼ばれました。これからの復興にむけて、コミュニティの再生について。また家族の絆について話をしてくださっていたときのことでした。突然携帯アラームが鳴りました。ちょうど13時15分でした。その方は携帯をみながら涙を流されました。とても寂しそうでした。実は毎日13時15分には、自閉症だったお孫さんを学校に迎えにいく時間だったのです。いつも遅れないようにとアラームを設定しておられたのでした。「もう必要ないだけどね。アラーム解除できんのですわ」と。津波にさらわれたお孫さんのことを毎日思いだすそうです。その小学校で津波によって流されたのはそのお孫さんだけでした。アラームが鳴るたびに孫のことを思いだして辛くなる。でも解除してしまうと孫が消えてしまうようでもっと辛い。もうすべて受け止めて前へ進まなきゃいけないと思う。できることならずっとアラームをセットしておきたいと。涙を流しながら話してくださいました。
忘れたいけど忘れられない。辛いけれど心の支えでもある。そんな状況のなかで生きておられる方がたくさんおられます。昨年の被災地はいつになく寒く、零下の日もありました。何十年ぶりに川が凍りつきました。凍えるような仮設住宅の中で、一人生活をしなければならない方も多いです。私たちの救援活動は寄り添うことをミッションにしてきました。厳しい現実の中で、それでもイエス様がそこに寄り添っておられるから、私たちの活動もあると信じてきました。
パウロは「泣く人と共に泣きなさい」と教えています。いままで「共に泣いてあげる」という感覚でこれを読んでいたことに気がつきました。被災地で活動していると、共に泣くしかない状況に出会います。あまりにも悲しみが大きすぎて共に泣くしかできないのです。しかし、そのような関係を持たせてくださる中心にキリストがおられることを思いつつ、共に泣くことが必要なのだと教えられています。「いまは泣いてください」と言えるには、寄り添うことしかないのです。みなさんは苦しむ者に寄り添うことができますか。
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