マタイ 14:23 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。
「超多忙」という言葉があります。イエス様の働きは「超」はつきますが、「多忙」という言葉ではないように思えます。多忙という字を分解すれば「多くの心を忘れる」と書くからです。イエス様の働きは、「びっしりつまった働き」の中で「繊細な働き」ということでしょうか。そのようなイエス様は時々「ひとり」の時間を持たれるのです。びっしりつまった「繊細」な働きの中の「緩やかな」時間です。このバランス。そして緩やかな中に「祈り」の時を過ごされています。
イエス様は祈るために山に登られます。山に登るという表現は聖書では「神様に出会う」ということです。モーセも山に登って神様と会い、十戒を与えられました。ただ一人で山に登り、祈る。そこには神様との対話があります。イエス様の宣教活動にも、避けられない現実、多くの問題、課題がありました。しかし、その時だから、イエス様は一人山に登り神様と対話をしておられるのです。この時間はイエス様にとってなくてはならない時間でした。
熊本への帰宅は航空機を利用します。だいたい富士山上空で機長の挨拶があります。空路上の天候や、温度、地上からの位置、到着地の天候などを教えてくれます。その中に飛行機のスピードのアナウンスがあります。しかし、この飛行中のスピードとは、航空力学、物理学やその他もろもろの繊細・緻密な計算に従って算出されているようです。また緻密・繊細な規則に従って速度が決められており、その速度情報も私にはとうてい理解できないことを、「まあ簡単に説明すると時速○○です」と教えてくれているようです。ところが、着陸して駐機場までの速度は法令によって次のように決まっているそうです。「安全にかつ速やかに停止できるスピードで」。この緩やかな法令にびっくりしてしまいましたが、確かにそれでわかります。この繊細さと緩やかさのバランスがあって安全に飛行されていることに、少し感動しました。
イエス様は「群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった」とあります。繊細さばかりだと疲れます。緩やかさだけでも違う意味で疲れます。やはりこのバランスが大切ですし、このバランスがあってはじめて両者が生きてくるのです。イエス様の繊細さと緩やかさのバランスは祈りによって保たれています。ひとりで祈る時間に私たちの恵みがあります。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
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