マルコ 1:45 彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。
ある本で、日本語なのに全く意味不明の言葉をみつけました。それはカタカナ語といわれるものです。「コンプライアンスのためのリスクマネジメントをコーチングするプログラムをディベロップメントしました」と。もはや日本語ではない。しかも言葉の意味をつなげてなんとなくわかるようですが、はっきりと理解できるかといえばそうではありません。結局何を言いたいのか、私たちはどうすればいいのかわかりません。もしかすると聖書の特殊用語を並べて同じようなことをしていないでしょうか。自分が救われた福音とそれに感動した出来事を伝えたい時にはこのような表現はしないでしょう。
イエス様はガリラヤでの宣教中に、重い皮膚病を患っていた人を癒されました。そのご「だれにも話さないように」と禁止命令をだされました。ところが癒された人はそれに従いませんでした。この出来事を人々に告げ、言い広めはじめたのです。嬉しくてしかたなかったのでしょう。自分の身に起こった奇跡、福音の出来事を伝えたくて、広めたくてしかたなったのです。自分の身を示して証ししたのです。
「情報の伝達の方法で一番有効なものは何か」ということを調べた会社がありました。結果は「口コミ」だったそうです。つまり、一人一人の口から口へと広がっていく宣伝方法のことです。それが新聞、テレビ、雑誌の情報よりも、友達からの「口コミ」の情報が一番有効で信頼性あるという結果なのです。実験では、渋谷にたむろしている女子高生10人に「プリクラがなくなるらしい」という情報を流し、それがどのくらい広がるかで実験。すると、3日後には渋谷の女子高生のほとんどが知っており、1週間では都内の女子高生のほとんどが知っていたという結果がでたそうです。実験した方も結果をだした方もあきれてしまいますが、驚きでもあります。ただし、その情報を信じているかという点では、全ての人が信じているわけではなかったとなっています。私たちは常に信じることができるみ言葉を伝えているのです。
重い皮膚病を治していただいた人は、イエス様から「だれにも、何も話さないように気をつけなさい」と言われました。しかし、どうしても自分に起こったことを人々に伝えたかったのです。聖書は「大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた」と書いてあります。人々に分かりやすく、自分の身をもって証ししたのです。神様の出来事を言い広めることを「福音」といいます。
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