マタイ 20:21 イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」
飛行機の話をある本でよみました。飛行するにあたって大切なことがいくつかある。その一つが方向を見定めるということです。たとえば、ニューヨークからイスラエル(テルアビブ)に飛行するとき、その方向が北に1度ずれたとしたら、どこに到着するか。じつはモスクワに着きます。初めは小さな方向のズレが、とんでもない到着地になるのです。目標をきちんと定め、つねにその方向に向かっているかを点検することは大切なことです。しかしそれ以上に、目標は何か?望みは何か?がはっきりしていることはもっと重要なことだと思います。
イエス様のもとに、ヤコブとヨハネの母がやってきて願い事をしました。「息子たちの将来の地位を約束してほしい」という内容でした。それを聞いた他の弟子たちは怒っています。弟子たちの中に強烈な順位争いがあったのかもしれません。「偉くなりたい」が弟子たちの目標だったのです。イエス様は弟子たちに「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」と諭しておられます。
大江教会に赴任してすぐ「1000人礼拝」の目標を立てました。一度でいいからブラウンチャペルを、人々で溢れさせたいと夢を持っていました。神様は祈りを聞いてくださり、まず大江教会の礼拝堂は一杯になってきました。念願だった中高生も増えました。さて、これからです。最終の目標は1000人にキリストと出会っていただくことです。次なる宣教の目標を立てなければなりません。それにはまず祈りから始めたいと思います。神様がこの教会に与えてくださっている使命を祈り求めたいと思うのです。教会の目標は維持管理ではなく、宣教あることを見失ってはいけません。目標がズレないように祈ります。
イエス様は「何が望みか」と聞かれました。しかし、彼女が望んだことは的外れでした。それに対してイエス様は、十字架の出来事をもって彼女の願いの的外れをただされました。仕えることが弟子たちの目標であり、イエス様はそのことを教えるために十字架の死を示されたのです。目標と方向を見失わないためでした。
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