礼拝で、あいみょんの「ハルノヒ」の歌詞を紹介しました。「君の強さと、僕の弱さを分け合えば どんな凄いことが起きるのかな?ほらもうこんなに幸せ いつかは一人、いつか二人 大切をふやしていこう」。自分の心に響いたのは「大切を増やしていこう」という歌詞でした。コロナの脅威の中で「大切」を増やしていかねばと思います。
さて、広島教会にとって「大切」って何かなと考えました。コロナ自粛の後に教会の礼拝が再開され、多くの方々とペンテコステ礼拝ができました。その時の喜びは大きなものでした。「集う」喜び「集える」喜び。「讃美する」喜び。私たちは礼拝堂で集うことができたこと、それが一番の喜びでした。また「できる」を考えて聖餐式を行いました。聖餐式ははじめから「できない」「やらない」とする教会が多いです。しかし、聖餐がもつ意味と力、祝福を考えてきました。共に集う礼拝ができないという初めての出来事の中で、礼拝の意味、「大切」を教えられた2ケ月でした。
この状況の中で、広島教会礼拝堂の大切さを感じました。ここに礼拝堂がある。集まれる場所がある。いつも開かれた場所がある。自由に祈ることができる。礼拝堂の「大切」を増やしていくことがこれからの目標です。そのために礼拝堂を聖なる空間として整えていくことがこれからの使命だと考えています。この礼拝堂を祈りとみ言葉で聖なる空間へと育てていく。さらに聖卓と十字架がきちんと中心に見える礼拝堂となる。もう一度、現在の礼拝堂が聖なる空間になっているかを考えました。そこで聖書通読と祈りを始めました。毎日、み言葉が読まれ祈りがある。素晴らしいと思います。
広島教会の礼拝堂はここにしかないものです。皆さんでもっと聖なる空間を創造していきませんか。聖なる空間。それだけで宣教がなされていきます。