ヨハネ 15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
ある時、他教派の牧師が訪ねてくださり、びっくりするようなニュースを教えてくれました。そのニュースとは「先生の書かれた『神様のクレヨン』を古本屋で見つけましたよ」というものです。本当にびっくりしました。
古本屋に出回るようになったのか、と感慨深いものがあります。見に行きたいという衝動もありますし、いったい値段はいくらかなと心配でもあります。たかが1冊の本ですが、私にとっては子どものようなものです。いまそれぞれの本はどのようになっているのでしょうか。家の中のどんなところに置かれているのでしょうか。そして、その本を通してどんな人生が送られているのでしょうか。そのように考えると祈らずにはおれません。なにかつながっているという感じがあるのです。
今日のみ言葉は、イエス様が十字架の出来事前に語られた決別説教のみ言葉です。ぶどうの木と枝のたとえ話から、十字架という緊迫した出来事の中で何が大切かを教えておられます。イエス様は、木に枝が結びつくように、イエス様と弟子たちの関係で重要なことは「つながる」ことだと言われました。木はイエス様で、枝は弟子たち・私たちを意味しています。そのつながりの中に神様の命も知ることができます。
東日本大震災救援活動報告を全国各地の集会に呼ばれておこなっています。九州では、多くの方が参加してくださいます。緊急救援からの1年間をとくにはなしております。私たちの緊急救援は各教会・女性会で、わかめプロジェクトにはじまりました。雑巾、おすそ分け、思い出写真洗いと活動が広がりました。被災地とつながった活動ができたという感想をいただきました。講演後の質問の多くは「これからは何をしたらいいでしょうか。どんな支援が必要でしょうか」というものです。全国の皆さんが被災地の方々とつながっていたいという気持ちを感じました。「まず、祈ってください」と答えました。ルーテル教会としての課題は、救援活動がどのようにつながっていくかだと思います。そのために秋刀魚やあぶり焼きいわしがやってきます。
イエス様は「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」と言われました。つながっていることの確かさを教えられたのです。被災地の方々と私たちがつながっているということは、私たちをとおして、被災地の方々もイエス様につながっていることになります。そのつながりの中心に祈りがあります。祈りでつながり、み言葉でつながり、忘れないでつながっていくことが大切だと考えています。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>