新型コロナの影響がこんなに長引くとはちょっと想定外でした。初めは梅雨時には少しおさまっているかなと。それは認識不足でした。新型コロナに教会はそんなに影響を受けないだろうとも。ところが全国の教会は来年の見通しすら出きない状況です。いままでに経験したことのない新しい課題に直面していると言えます。
やく7割の教会は5月のペンテコステから公開礼拝を再開しています。しかし首都圏や大都市の教会はまだ再開できていません。ライブ礼拝ができるところも少なく、牧師の説教を郵送している教会も多いです。まして聖餐式を行っている教会は1割に満たない現実です。もっと言えば礼拝式文を用いない、讃美歌は歌わない、短縮30分礼拝という教会が多いです。礼拝後の集会はもちろん中止です。それでも公開礼拝が行われる教会で交わりはできています。このような状況で、信徒の方々の生活、経済にも圧迫しているコロナ禍の中での献金はどうなっているか。想像がつきます。あとは各個教会の力がどこまで耐えられるかになってきました。
広島教会は「できない」ではなく「できる」方法を考えてコロナ禍を歩んできました。礼拝出席は昨年の同じ時期に比べ増えています。教会会計は厳しいです。今はそれでいいと思っています。まずは公開礼拝を継続させながら「つどう」ことの喜びに感謝します。教会が開かれていること。いつでも祈れる礼拝堂であること。同じ信仰を持つ者が集まれること。今はそれが大切なことで、最優先事項です。この部分を「できる」方法を考えています。この時期に何をしたかが来年以降に問われると思います。
新しい生活様式の中で、各自無理をせず教会生活をしましょう。教会はいつでも開かれています。あくまでも無理せずに。教会はいつでも開かれていますので。