フィリピ 3:13 なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
仏教ホスピスの会・機関紙「みちしるべ」の表紙に、ひとつの詩がありました。「きのうは変えられる。だって、自分の思い方を変えればいいだけだから」。なるほどだなと思いました。過去は変えられない。過去に縛られている。じつはそうではなく、過去を限定しているのは自分の思いなのだと。思いを変えれば過去は変えられるのです。
パウロは古いものにとらわれている人々に、目標をもって「前」へ進むことを薦めています。私たちは未来より、過去についてよく考えます。考えるだけならいいですが、過去の習慣や出来事にとどまり、そこから抜け出せないときもあります。後ろばっかり見ていると「前」へは進めません。方向を変えてまず「前のものに全身を向ける」ことです。そして方向を変えるには「今」の自分が救われていることを受け止めねばなりません。
お釈迦さんの言葉につぎのようなものがあります。
「過ぎ去れるを追うことなかれ
未だ来らざるを想うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そはいまだ到らざるなり
今日まさになすべきことを熱心になせ
誰か明日死のあることを知らんや」
私たちはこれまでの人生どうだったかと考えると、なにもできてなかったかもとくよくよします。とかく過ぎ去ったものを、どうにもならないことを、いつまでも背負い込み、引きずっているかもしれません。しかし、大切なのは「今日・いま」をどう生きているかだと思います。過去は戻ってこないし、未来はまだこない。であるならば、過ぎ去ったものを今どのように糧にして生きているかが問われています。
パウロは、これまでの過去は、すべてイエス様に出会うためにあったと言います。つらいこと、苦しいこと、見たくない過去。それもすべてイエス様に出会うためのものです。だから今が大事です。パウロは、救われた今は「後」ではなく、「前」へ向かいなさいというのです。目標を目指して前を向きなさいと教えています。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
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