マタイ 2:12 「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
ある教会からの帰り道でのことでした。通り抜けようとス-パ-の信号へ差しかかったとき、地面を動いているものを発見しました。よく見るとカニが道路横断中だったのです。わりと大きなカニで体調十センチはあったでしょうか。しかも、車がどんどん通り過ぎるなかを、車に対してはさみを振り上げ威嚇していたのです。それを見ながら二つのことが頭に浮かびました。「一、自分を知らないということは恐ろしいことだな。二、ここに道路さえなかったら、カニは死なないでよかったろうに」ということです。そしていろいろと考えながら、自分を知らない人間ほど恐ろしいものはないという結論に達したのです。自分を知ること。これには自分を別な角度から見ることが求められます。第三者の視点、それがは別の視点であり、神様の視点だと思います。
イエス様の誕生のとき、東方から3人の博士がやってきます。彼らはまず、ヘロデの所に向かいます。ユダヤ人の王様が誕生することを星によって知らされていました。ヘロデはこれを聞いて不安を感じます。自分ではない王様が誕生するというのです。その後3人の博士はベツレヘムでキリストを拝みました。これがクリスマス礼拝です。ところがイエス様の誕生を知ったことで、ヘロデから命を狙われることになり、神様が示される別の道を通って自分たちの国に帰ることになりました。
大都市の交差点には、目の不自由な方のための音の出る信号が設置されています。とくに車の流れが多く危ない所に設置されています。ところが、ある都市ではこの音がなるのは午後7時までと決まっているそうです。理由は周辺住民から、その音がうるさくて騒音だという苦情があったのだとか。市の管理、警察が話し合って午後7時までにしたというのです。「目の不自由なものは午後7時以降の外出はするなということですよ」と、それを利用している方が言っておられました。それが必要ない方にとっては騒音になる。しかしそれが必要な方々おられる。何かよい別の方法はないのかなと思いました。その方法を考えるのは「管理者、住民、目の不自由な方」の3者と、それを聞いた私たちなのだろうと思います。共に生きるという視点から考える時に、神様が別の方法を教えてくださるのではと思うのです。
クリスマスの時、3人の博士は「別の道を通って・・・帰って行った」とあります。この別の道を示されたのは神様でした。ヘロデの難から逃れるための道です。私たちの人生、行き詰ったときでも必ず道が用意されています。その道を見いだすには、つねに神様のみ言葉に触れていないといけません。別の道も神様の道なのです。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>