ヨハネ 6:11 イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。
水の大切さを思います。しかも生きた水の大切さです。イエス様はサマリアの女に「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言われました。イエス様が私たちに与えてくださる水は、いつも流れている水です。流れている水は腐らないのです。もしイエス様が与えてくださる水が腐れているのなら、私たちが「そのままに」していたり、「ため込んで」いたり、「忘れたり」しているためだと言えます。それではイエス様が与えてくださる水とな何か。それは命のみ言葉です。
イエス様は、5つのパンと2匹の魚で5千人以上の人々に食べ物を与えておられます。これはすべての福音書にある出来事です。ここで大切なことは「分け与える」ということです。たった5つのパンと2匹の魚ですが、祈って分け与えるとき、すべての人が満たされるのです。多くの人は5千人が食べて満腹したという所に感動しますが、わずかなものを「分け与えることができた」ことに注目していただきたいと思います。
被災地救援で支援物資を配布するのは、簡単なようでとても難しいことでした。全員にいきわたるようにと思ってもそうはいきません。同じものをそれだけ準備することは可能です。しかし、皆さんが仮設住宅に移り自分たちの生活を始められた時、、必要なものは個人的に違うのです。ルーテル支援は全員にいきわたる物資配布と、必要な物資をとっていただく「おすそわけ」を同時にしていました。1軒1軒をまわってお届けし、おすそわけの呼びかけをしました。そうすることによっても、すべてのニードをみたすことができないこともありました。しかし、地道に続けていくしかなかったのです。与えることの難しさを感じていました。
イエス様は大勢の群衆を5つのパンと2匹の魚で満たされました。しかも「欲しい分だけ与えられた」とあります。いま必要なものを欲しい分だけ与えられています。これは祈りによらなければできません。何が必要で、どのくらい必要なものかを知ること。そして分け与えること。イエス様が何を与えて下さっているか考えています。
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