1コリント 9:22 すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。
パウロは「誰に対しても自由である」と言います。なにものにも捉えられず、自由に、進んですべての人に仕えてきたのです。その目的は、少しでも多くの人を救いに導き福音にあずかるためです。そのために「どんなことでもする」と言っています。
ソクラテスの言葉に「大工と話すときは、大工の言葉を使え」というものがあります。人とのコミュニケーションを成立させるのは「受け手」です。聞く者がいなければコミュニケーションは成り立ちません。この大原則を、言葉を発する方が考えねばなりません。ソクラテスは「コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しない」と言っています。言葉を受ける人がどんな人で、どんな経験・生き方をしてきたか。それに基づいた言葉、期待、思いを考え、言葉を発することではじめてコミュニケーションは正常に行われると言うのです。
パウロは「ユダヤ人にはユダヤ人のように。弱い人には弱い人のように」と言っています。相手のことを常に考え、何を求め、何が必要で、それに対してどんな言葉を用いるかを考えています。しかし目的は、「何とかして何人でも救うため」なのです。またパウロは「福音のためならどんなことでもします」といいます。なぜそこまでするのでしょうか。それは「共に福音にあずかる者となるため」と言っています。これが主にあるコミュニケーションの大きな目的です。
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